推敲の才能が無い。

 夜に考え事するのは良くないとか、マイナス思考になるのは暇だからだとかいうけど、忙しい時の昼間にも全然ダメな時はあるから人生の調子はそれぞれだし私24時間サイクルで生きてないから諸々の前提に当てはまらないことに気付いた。

 最近ずっとSNSとの距離感をはかりかねているのだけれど、実際0にする訳にはいかないし、でも今のままだと辛いなあと思うことも少なくなく。

 コロナ禍で、SNS内の「隣の芝青い」現象はよりシビアなものとして多くの人の隣に存在すると思っている。アカウントを複数持っている人ならきっとわかると思うんだけど(私は普通に薄木葵名義で使っている+合唱団のアカウントがある)、マジで見える景色が全然違う。同じアプリ内でもこんなに差があるんだから、どんどん狭まることは必然だよな…。アプリ側が変に気を遣って「興味がありそうなコンテンツ」とかをさらに絞るもんだから、新規の何かが入る隙もなかなかない。

 あれに似ている。電子辞書か紙の辞書か、みたいな話。私は用途によって使い分けるけど好みとしては断然紙派。紙の辞書を眺めていると検索して辿り着いた場所の周辺の単語も目に入ってくるから「へー、こんなのあるんだ面白いな」みたいな出会いがあるけど、電子辞書だとまあそれが難しい。一気に絞るには本当に最適なんだけど。そこからSNSの話に戻ると…つまり、「所謂’界隈’」の情報で溢れて、世界がそれだけに見えがち。そんなことないのに。

 さて最近。

 現場に出る仕事がどんどん復活してきて、自分の本番が増えた分他の人の本番をなかなか聴きに行けない。ありがたいことに配信だとかアーカイブ視聴の文化が形成されてきて現地に行かなくても体験を共有できるようになってはきたものの、それが強要…アーカイブだから観れるでしょ?みたいな動きにつながっちゃうと辛いよね。実際私は目があまり強くないし酔いやすいし、イヤホンが苦手という身体的な問題があって個人的にはやや避けている。あとは(これも個人的な)考えで言うと、例えば演奏会を配信で観るっていうのはyoutubeで音楽を適当に垂れ流すのとは全く違うと思っていて(その定義は緩めればいいじゃんなんだけど、私にはちょっと難しかった)。同様の理由で、PCの前に座って講座の類を受けるのもあまり得意じゃない。

 周りに生活感がある中で音楽という非日常に触れることがあまりに下手。空間としても切り分けたいんだ…。

 スピーカー越しももちろんいいんだけど、やっぱり周りの空間の空気がビリビリ鳴っているそこに居たいんだ。叶わない時もあるけどさ。全てはタイミング。

 この仕事しながら何言ってんだって言われるのは百も承知なんだけれど、私は注目されるのがちょっと怖い。興味持たれるのはすごい嬉しいんだけど。まああの、人とコミュニケーションをとる能力が著しく低いってだけの話です。SNSで人気者になりたいとか、カケラも思ったことがない。怖いもん、変なメッセージとか来るし。

 自分が黙ってても目立ってることを自覚したのはここ最近。ちなみにビジュアルに関しては自分ウケだけをひたすら追求してるだけで、誰かに何かされて何かが嫌になってグレたとかじゃないので安心してください。容れ物を飾っている感覚です。

 舞台上で異様に目立つのは、そうなるように学生時代に命ををかけて振る舞いを研究したからです。「舞台にいる時、オフの瞬間があまりにも無いのが強そうに見える原因の一つじゃないか」と先日友人に言われてなるほどなあと思いました。身長が高いのが嫌で嫌で仕方なかった過去の自分に大丈夫だぞと言ってやりたい。大丈夫今の私結構かっこいい(当社比)。

 割とマイナスな理由で始めた自分の外見の分析だけど、結果、服にメイクにデザインに興味が湧いていて人生楽しいので、良い。コロナ禍によりやむなく異常発達したネット通販、本当にありがとう。外出が嫌いな私にとって最高のご褒美です。

 アマプラとか入ってると配達めっちゃ早いの助かるんだけど配達員さんの負担が凄まじい気がするので、「お急ぎ配達」みたいな項目の隣に「別に急いでないから無理しないで届けてほしい配達」の項目を作ってもいいのになと思う。