#ビッキンダーズ #まみやまみれ

 歌の先生である佐藤拓さんが座長をつとめる常民一座ビッキンダーズの演奏会。元々聴衆として行く予定だったけれどお手伝いとしてリハから立ち会えることに。なんて幸運。

 

 私が拓さんに歌を教わろうと思ったのは、拓さんの「民謡」や「言葉」への探究が素敵だと思ったから。「声」そのものへの探求というのはもちろんなんだけど、それが自然な状態でストンと落ちる、それが好き。人が生来持っているものをまず自覚するというか。そういう作業って無意識を意識化することだから、自分じゃない誰かに手伝ってもらったほうが多分早い。私はそうだった。だって自分の背中は自分で見られないし、右を向いた時に左が存在している証明なんてじぶんではできやしない。

 誰かの真似をするというのも、才能とセンスと時間が必要な、上手くなるための過程の一つではあると思うけど、でも自己分析ができていないのならそれって基礎をつくらずに家を建てようとしているようなもんで。あんまり良くはないよね。

 

 自分は田舎の出身だし親族一同もれなく訛っている。そんな環境で育ったから、上京後になんとなく感じた違和感とか、感覚でふんわりと納得する理解の不鮮明さが人生に纏わりついていたけれど、その違和感を「まあそういうものらしいし」で片付けることが多かった。あとは、あまりにも嫌いな自分の声への向き合い方、居酒屋であまりにも通らない自分の声の正体、喋り方の癖、滑舌の悪さ、人前に立つようになってきたにしてはあまりにもレベルの低い歌声と声の改善も。すべてざっくりまとめると「身体の感覚の解像度の向上」…ってことなのだと思うけど。

 でもそれらを怖いくらい突き詰める人がいることを知って、その世界を知りたくなった。自分の根底にある価値観や感覚のルーツが知れるなら知りたいと思ってレッスンに行った。世の中、何にでもプロがいるんだなと思った。いざドキドキでレッスンに行って、いきなり10種発声と言われた時は?が止まらなかったけれど。笑 でも「わからんけどとりあえずやってみる」から実際体に起きている現象を観察するのは新鮮な経験だった。わかんないよ、自分のことなんて。

 20年以上ピアノを弾いてきたけど、歌に向き合うようになって、またどんどん上手くなっている自覚がある。譜読みはもともと早いけど、もっと早くなったし。歌えない音は弾けないし、知らない音は聴こえないのや。

 すっごく脱線するけど、にじさんじというVtuberグループに所属している周防サンゴちゃんの「歌詞朗読(実質歌枠)」というのを是非皆様にお薦めしたい。イチオシはウェカピポ。ンゴちゃんの朗読聞いた後に本家聴くと、あり得ないくらい鮮明にラップパートが聞こえてくる。ここに出したのは極端な例だけど、でも私たち音楽愛好家は日々こういうことを突き詰めていっているよね。本当に究極いえば、演奏者は他の演奏者の音を全部把握してなきゃならない。それが全ては難しいから、アンサンブルでは良きところを摘出して「ここはこうだよね」の認識をある程度整えるわけだけど。もちろん指揮者とピアニストは全部わかってないとですけど。

 

 今現在の私の歌ですか??少しは上手くなりましたよ!拓さんの生徒ですから。わいやいでも歌ったし…ね…。動画はInstagramにちょこっと載せてます。

 高校生までの私しか知らない人が見たら、今の私はどう見えてるんだろう。大学以降に知り合った人は常にけたけた笑っている今の私を普通だと思ってるのだろうけど。自分自身の記憶を疑うくらい、本当に笑わなかったし、無愛想だったし、協調性なんて以ての外だった。頬の筋肉を使って笑うことが1日に何度あったろう。…この辺の話と、某YouTube番組でナレーターをつとめた時の私の苦悩はまた別で。

 さて話は戻り。ばっきゃーずについてかきたい。これは本当に「やばい」体験だった。

 

 コンポジションは私が常盤木学園1年だった時の定期演奏会で歌った曲。誰のどんな演奏を聴いても、どこか懐かしくて、きゅっと胸が苦しくなる、大好きな曲。

 合唱に出逢い直した喜びを岡崎先生に伝えに行く前に先生は遠くへ行ってしまわれたけれど。先生、どうですかねえ。今なら私お酒飲みながら先生と一晩中お話しできる気がします。もう一度、「おまえさんは」って言われたかったな。

 

 歌っているときの拓さんの嬉しそうな姿、キラキラだったなあ。

 本当に羨ましかったけど、演者側じゃなく観客側としてあの体験ができたのは本当に幸運なことだったと思う。舞台に立つ者が、決して忘れてはいけないあの気持ちの高鳴り。私たちは自分たちだけが気持ちよくなるために音楽やってるんじゃないんだよ…!!

 音楽界隈(っていう言い方あんまり好きじゃないんだけど)は狭いようで広い。例えば「合唱」で括ったらそれはそれは狭い繋がりだけれど、「オペラ」とか「ミュージカル」とか、声を使うものでも「それぞれが狭い」。それを、「いやだなあ、もっと広いところにたくさん行っていろんなジャンルのいろんな世界のいろんな人に会えたらいいのに」とずっと悶々としていた時のこの公演の体験だったからグッサグサに胸に刺さった。これじゃん。

 違かったら戻ってくればいんだから。

 例えば総動員数が多くても、界隈の総数が多いと思っても、やたらアクティブな(貶してません。むしろ尊敬に値するんだから)人たちがいる可能性も考えなくちゃいけない。今日は舞台で今日は客席、が永遠に回ってるだけじゃ本当に自己満足じゃない。その時黒字になればいいの?その日客席が埋まればいいの?違うじゃん、これからもみていきたいじゃん。未来を見たいじゃん。楽しい、の可能性は広げたいじゃん。だから、私はビッキンダーズのさまざまな取り組みが本当に素敵だと思っているし、これからもファンでいると思うし、何かをどうにか盗ませていただこうと努力すると思う。

 

 個々の演奏に触れるとか、そういう類の振り返りじゃなくて申し訳ないです。

 

 あと、和装したいなあ。単純なコスプレ欲。

 衣装を見て、幼い頃手作りの草鞋をずっと大切に履いていたのを思い出した。

 音楽は人と人との関わりの中に生まれるものだから。たくさん面倒なことも苦しいことも悲しいこともどうしようもないこともあるはず。でも私もいつかこうやって、仲間と一緒に手を取り合って、笑顔で最高の舞台を作って沢山のお客さんを迎えられるようになりたいなと思いました。

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コメント: 1
  • #1

    大井園子 (日曜日, 11 6月 2023 11:11)

    知らない音は聴こえないのや。

    って!心に鳴り響きます。
    素敵なベテランピアニストにしてもなのか。
    これから限りある時間のなかでどれだけ聴けるようになれるのかなあ。