【前編】#わいやい の振り返り。

 7月6日(水)に五反田文化センターにて開催した第2回わいわいやいやい発表会、無事終演いたしました。開催から2週間後もみんなの元気が確認できてホッとしています、と書いてからずっとブログが書き終わらず、1ヶ月が経とうとしています。夏が本気を出している今日この頃。

 

 40名を超える出演者で70名を超えるお客様をお迎えし、3時間半の演奏会を作り上げました。ご来場、出演、ご支援、応援、本当にありがとうございました。

  「舞台が好きな仲間たちによる」という副題を冠したこのわいわいやいやい発表会。妥協したくない信念をこの副題に託しています。

 大人になって好きなこと/やりたいことをやることがどれだけ難しいか。「機会があれば」という、放っておいたら簡単にゼロになるその可能性を拓く・実現するきっかけの場でありたい。そして同時に、決してその本質を忘れたくない、今の私からこれからの私へのメッセージでもあります。

 わいやいの舞台上ではプロもアマチュアも関係ありません。舞台を愛する“1人の人”。その人たちが一堂に介して互いに拍手を送り合う。それだけの、しかしとてつもなく大きく尊い目的を達成する。誰だって挑戦していい。それができる会です。

 関わる人数が多い上、出演はもちろんのこと運営もせねばならず、第1回も今回の第2回も開催前は「もう2度とやらない…」と思うのに終わったら「ああこの場を作ってよかった」と心から思えるのですから、本当に周りの人たちのあたたかさと愛に支えられている会です。私の誇りです。

 開催の頻度は特に決めていません。というのも、決めてしまうことで苦しくなってしまってはこのわいやいの心の向きとは異なってしまうから。第3回、第4回…と息の長い企画にしたい。大切にのんびり育てたい。日々変わる自分の生きるペースに入れる時が来たらそれは第3回開催の時。是非気長にお待ち頂けたら幸いです。

 第2回である今回の共同主催に佐藤拓さんをお迎えしました。

 私の声楽の先生でもあり、尊敬する音楽家であり、同じく東北にルーツを持つ方です。

 拓さんを初めてお見かけしたのはvocalconsort initiumの演奏会の時でした。今の自分も大概ですがこの時の私は無知も無知、「合唱でなんかとってもすごいことをやるっぽい!気になる!友達誘って行こう!」くらいの気持ちと解像度で、しかも何って谷さんの演奏が好きすぎて足を運ぶというミーハーっぷり。未だにイジられますが(笑)、でもこの日この時演奏会に行っていなかったら谷さんとご縁が繋がることも、柳嶋さんとも拓さんとも今こうして現場をご一緒させて頂くことは無かったかもしれないと思うと当時の自分の無鉄砲ぶりに脱帽です。今も十分若いけど、「本当に」若い時の無茶っていうのは未来の自分を助けたりする…こともある。

 少し話が逸れましたが、この演奏会の時のMCが拓さん。当時私はMCが入る演奏会があまり好きではなくて(予め作曲家が意図して書いた曲を演奏家が意図して並べ奏でるのに、そこに挟まる、ある種の即興性を伴う生身の人間の言葉が雑音に思えていた)、特に舞台転換の間に無音なのもなんかな〜って感じで挟まるMCはもっと抵抗があったものです…それは今もかもしれないけど。けれどこの日の拓さんのお話というのはそうではなくて(私の中で「MC」と「お話」にはかなり明確な違いがあって…これもいずれブログに書けたらいいなと思っています)、演奏会の延長から決して外れることなく、しかしただ延々説明をするだけではない。演奏と一緒になることで更に納得感が増すというか、演奏の中の音ではない音/声がそこにある必然性がある。本当に感動しました。お話も歌もうまい。あとリンク先の記事でも触れているんですが「バルト三国をご存じでしょうか?日本から見て、ロシアを挟んでお隣です」が本当にツボだった。確かに隣という言葉の定義は破ってない。ちょっと大地が広大すぎるけど。

 その後某共通の知り合いのお引越し祝いをした時が「ちゃんとしたはじめまして」。レッスンを申し込もうと決めてメッセージを送ったのが2021年6月のこと。1年以上習っているのだなと思うと、本当に時の流れは容赦がない。

 

 私が合唱を趣味で楽しむという世界を知ってそこに入って一番最初に衝撃を受けたのが、忘れもしない、「死ぬほどハモっている斎太郎節を聴いたこと」。今でこそ慣れたけれど、こんなに耳が拒否することはあるのかと思った。衝撃だった。ものすごい悪口になってしまうのだと思うけれど敢えて書いておきたい。それくらい衝撃的な違和感だった。忘れたくない違和感。その音楽があるところに縁がある者として、斎太郎節が愛されている喜びよりも、ハモる、鳴らす、いい声を出す…為だけのものになっているような気がして(男声合唱の一種シンボライズとして機能している面があるのも承知の上で)ちょっとしたモヤモヤがあった、或いはまだあることは否定できない。

 もちろん斎太郎節だけでなく、ほかのどんな曲でも東北地方(特に北東北)の言葉の発音を聞いては違和感があるなと思っては意図的に避けていた。そのおこないには、「じゃあどうしたら私たちが話す言葉のニュアンスを音楽に乗せられるか?」というアイデアがわたしに無かったから。そこまでの知識も無かった。ただの逃避。自分だってネイティブの人が聞いたら笑ってしまうような発音をたくさんしているに違いないんだから。…ここでは一旦さておき。

 言葉に対して感じた感覚というのは随分と早く薄れてしまうものだと思う。上京1年目は訛りが嫌で頑張って標準語に寄せて喋るようにしていた。今や9割くらいは標準語を喋れているのではなかろうかと思う。(…この自己評価、地方出身勢あるあるだと思うんだけど、自分ではいつも標準語だと思っている節があるのでこの9割が本当のところはどうなのかというのはまあ…。) でもやっぱり私は自分のルーツである東北の言葉が大好きだし、地元に2日間帰ろうものなら一瞬で元の喋り方に戻るほど染みついたこの言葉と、感覚は大事にしたい。でもそれらのバランスを取る方法を学ぶ術が無かった。

 そう思っているときに出会ったのがビッキンダーズの演奏、拓さんの声。かっこいい。これだ。拓さんにレッスンを受けたいと連絡しようと思ったきっかけ。

 歌を習いに行っています。でもそれは人前で上手く歌いたいとか、良い声が出せるようになりたいだとか、そういうことよりも先に「ルーツを含めて、自分という器の解像度を上げたい。自分が何を違和感と思うのか、今何をどれくらい感じられる/られないのか。人と音楽にアプローチする手段を増やしたい。」という気持ちの方が先にある。

 先生がせっかく高く設定してくださったハードルを勢いよく潜り抜けるような生徒ですが、これからもヒントを頂きに、技術を盗みにいきたいと思っています。

今回も第4部を重ために設定したわいやいですが、講師演奏を30分の枠に設定しました。プチコンサートになった。

 

《講師演奏プログラム》

 

ピアノ:薄木葵 語り:佐藤拓*

 

1.* 春畑セロリ 『ゼツメツキグシュノオト』より「リュウキュウアカショウビン」「ニホンリス」「アオウミガメ」「リュウキュウコノハズク」「ニホンモモンガ」

2.宮沢賢治作曲/寺嶋陸也編曲 「星めぐりの歌」

 

うた:佐藤拓 ピアノ:薄木葵

 

1. Franz Schubert “Du bist die Ruh” Op.59-3, D.766 (詩:Friedrich Rückert)

2. 木村雅信『ケセンの詩』Op.243 より“剣舞”(詩:山浦玄嗣)

3. 間宮芳生『日本民謡集』より“銭吹唄”(青森県民謡)

4. 間宮芳生『日本民謡集』より“杓子売唄”(秋田県民謡)

 

 こんなプログラムを見かけることは今後きっと無いでしょう。何よりやろうと思ってもできる人が恐らく相当少ない。

 春畑セロリさんの『ゼツメツキグシュノオト』は、拓さんの奥様田中エミさんから「是非弾いてほしい」とご紹介頂いた曲集。絶滅危惧種に設定されている動物たちの解説、挿絵、簡単な文、そして短い曲がつけられている。どこをどう抜粋するかで聴こえ方がかなり違う印象。いつか全曲、スクリーンなんかを使って動物たちをうつしながら演奏したい。

 拓さんのプログラムはもう、なんというか。(笑) ご本人にその思いだとか選曲理由を聞いたら面白いと思います。わたしからはその辺りについては触れず、で。

 しかし方言というのは本当に繊細なもので、勉強しても勉強しても何もわからない。特に自分が喋っている言葉の無意識を意識のもとに引き摺り出す作業というのが本当に大変。入念に合わせをする中で、ピアノで喋ることは少しだけできたかなと思います。いやしかし本当にピアノパートの難しいこと!笑

 後日動画を公開予定です。お楽しみに!

 プログラム第1番「らづもねあアンサンブル」。

 これは元々拓さんの持ちネタ(?)で、「ずーずー弁でマイバラードを歌う」というもの。どうしてもわいやいでそれをやりたくて、最初は私と拓さんの2人で歌う予定だったものが、どうせならということでわいやいに出演する他のメンバーにも声をかけ、結果このメンバーに。みんなで真剣にずーずー弁を勉強&練習し、入念に合わせもしました。笑いを取るなら本気でやらなきゃ。

 実際、この日初めてお会いする出演者の方々、そしてお客さまにリラックスしてもらう意図もありました。わいやいは挑戦と可能性の場所。「らづもねあのおかげで、そんなに気張らなくていいんだと思えました」と声を掛けて頂いたりして、嬉しかった。

 そしてもう一つ、講師演奏の一番最後、「杓子売唄」への伏線でもありました。Twitterで宇田川さんが言及してくださっていて、気付いてもらえてよかった、の自己満足。

 伴奏は私の大学同期でピアニスト/オルガニストの相澤ますみちゃんにお願いしました。彼女へ一つだけお願いしたのは「何があっても笑わない」。たぶん一番大変な役だったんじゃないかなと思います。本当にありがとう。

 

 ここで突然の宣伝。突然ではありますが当然無関係ではありません。

 

 2022年8月6日(日)浦安音楽ホールにて。谷さんが立ち上げ私も創立メンバーとして&今はピアニストとしてずっと関わり続けているTokyo Bay Youth Choir、通称TBYCの念願の1st Concertに出演します。

 画像にはありませんが、「案内人:佐藤拓」の文字が…。思わぬ(?笑)ところ思わぬ形での師弟共演です。

 

 詳細&チケット購入はこちらから!

 問い合わせフォームから私まで直接ご連絡いただければ割引価格でお取り置きできますので気軽にご連絡ください!

 

 

 さて話はわいやいに戻り。

 わたしも拓さんの生徒なので、当然門下生として歌いました。ピアノはやっぱり相澤ますみちゃん。本当にありがとう。

 人前で、ホールで歌うのは常盤木の副科声楽の試験以来。大学も試験はあったけど、少しだけ大きい教室ではちゃめちゃにアットホームな試験だったからあれは一旦除くとして。

 緊張はしたし、傷はあったにせよ「また頑張って、次はもっと上手く歌いたいな」と思えたので自分的には満足。主催者が運営して喋って歌って踊ってデザインをして早着替えをしまくってピアノを弾いてが許される世界。それがわいやい。

 薄木さんも緊張するんですか?と複数人に言われたので声を大にして主張したい。します。それはそれはします。なんなら吐きそうになるくらい。でも伊達に音楽ばっかりやってきていないというか、場数を踏んできているというか。緊張している自分の状態はかなり客観的に観察できていると思う。もちろんまだまだ未熟ですが。

 それこそ大学受験の時。緊張したからできませんでした、があまりにも通用しない世界。

 緊張する。その時、「体のどの部分がどういう状態になるのか・感覚はどう変化するのか・自分の耳は何を拾い、目は何を見ようとするのか」を必死に観察した。研究した。改善しようと努力した。だから今はある程度大丈夫。

 歌でそれは全然できなかった。でも積み重ねてきたものは確かに有って、こういうことなのかな?っていうある程度の勘みたいなものは働いた。だからきっと、次歌うときはもっと自由に音楽に身を委ねられるはず。

 ちっとも天才じゃないからすぐに何かを成すことは絶対にできない。けど、コツコツ続ける根気はある。そして私は何より、周りの人たちに本当に恵まれている。教えを乞うことも、助けを求めることもできる。頑張り続けようと思えるのは自分の力じゃない。

 次の話題として触れておきたいのは月下美人の話。

 私は私のために同声アンサンブルグループを作った。今回残念ながら女声アンサンブルグループは(名前をモクイジョ - 燦といいます、お見知り置きを)出演が叶わなかったけれど、男声の方、「月一満足アンサンブル〜月下美人〜」をステージに乗せることができた。

 やりたいことを声に出してアピールすることの大切さ・タイミングと縁を待つことの大切さや尊さは承知しているけれども、自分で動き出した方が早く&面白くできることもあって、私にとってのそれがこの同声2団体の結成だったりする。抑えられない好奇心というか溢れ出した愛というか自己中心的な夢というか。

 今の私にだったらご縁を広げ繋げる力はあるはずと思った。大好きな仲間たちを集めて、私自身も含めて誰も想像すらしなかったような面白い化学反応がみれるかもしれない。この人とこの人が出会ったらどうなるんだろう。みんなの音楽・声・心、そういうものを現場で共有できたら嬉しい。そして思いがけず、この実験的な呼びかけにたくさんの人が応じてくれた。嬉しさ半分、驚き半分。中途半端なことはしたくないと強く思った。

 この2団体に共通したコンセプトは「月に1回の活動でみっちり音楽をする。薄木含め集まった人全員で会場代を割り勘。各々のライフスタイルに合わせて遅刻早退自由。自分に優しく、他人に優しく。」。

 月下美人とモクイジョに関することはまた別記事にするとして、わいやいのステージでは本当に最高のメンバーに夢を叶えるお手伝いをしてもらった。これからも一緒に、舞台への憧れと音楽への愛を共有してくれるのであればそんなに嬉しいことはない。

 舞台転換もお任せしっぱなしで、本当に助かりました。ありがとう!

 本番は歌詞捏造大魔神が1人もいなくて私は本当にホッとしました。子供の発表会を見守る親の気持ちってこんなんなんだろうか。違いますねすみません。

 私がデザインを担当して、みんなで着たお揃いの月下美人Tシャツ。これを着ると美人になるという噂は今の所無いです。

 文化祭みたいな雰囲気と見た目で真剣に舞台で演奏するの、すごく楽しかった。

 SUZURIで販売中なので、私たちとお揃いにしたい方は是非ご購入ください。色、サイズ共に豊富に展開しております。

 

 本番の月下美人の美人な演奏はYouTubeに乗っております。視聴はこちらから。チャンネル登録、通知のオン、ぜひよろしくお願いします!

 そしてそして。第1回わいやいの共同主宰であり、素晴らしいソプラノ歌手である根本真澄さん。今回もプログラム制作を手伝って頂いたりと、本当にお世話になりました。

 何度もご一緒しているけれど、会う度に音に艶が出る。何回共演しても楽しい。その時々の音楽が、いつだって活き活きしている。

 今回は何を演奏しようかと話し合った時に、もちろん最初に上がったのは即興演奏。でも、今同じ時を生きる作曲家の方々の曲を歌い奏で伝えることをしたいという意見に落ち着き、石川潤さん・善養寺彩代さんの2名の作品を演奏することにした。

《プログラム》

 

1.うたとピアノの為の組曲『名前をつけてくれ。』より 「1.一握りの舌先」「2.死者を弔うフリをして」(詩:薄木葵 作曲:石川潤)

2.「はな」(詩:谷川俊太郎 作曲:善養寺彩代)

 

 わいやいらしい、というその最たる例。Twitterでの軽い気持ちでのやりとりが本当に現実になったのが、『名前をつけてくれ。』。私が書いた詩にぬじゃさんこと石川潤さんが曲をつけてくれたもので、実はまだ未完の組曲だったりする。本当は1曲目と4曲目にしようとしていたのだけれど、2曲目の一番最後の歌詞が「そこに花は咲かない」。そのあとに『はな』を歌うという、まあこれがしたかっただけの選曲ゆえ、1番と2番を。

 根本さんが「ぜひ歌いたい」と提案してくれた「はな」は作曲者ご本人にピアノパートを改めて書き上げて頂きました。例えば琴の音のような、私たちの魂に根付いた音たちが煌めきと共に並ぶ喜び。

 

 こちらも後日公開予定です。どうぞお楽しみに!


『一握りの舌先』

 

パラソルで飛ぶ象がいたって、呻きながら沈む蜘蛛がいたって、パーキングエリアには空のハイヒールが停まっている。

一向にひらかない傘の下で、濡れ嘆く愛したかったおとな。

一輪の花は逞しくなんかない。

禿げた住所は掌の中で血みどろになる。

欲に浸るなら少しだけ目を瞑れ。

 

あなたのための意味じゃない。

 

どうせなら死んでおくれ。

 

精一杯死んでくれ。

 

また明日。また明日。

また明日が来る、結構な確率でね。


『死者を弔うフリをして』

 

死者を弔うフリをして

遺体に思い出を葬るな。

そこに花は咲かない。


 なんの知識も教養も無い人間の頭の中に、日々ずうっと聞こえている音を書き溜めておいた。それを並べて「これは詩である」という自分のことを随分恥ずかしいとは思うけれど、こうでもしないと聞こえ続ける言葉たちを昇華してあげることができなかった。

 練り上げて作った訳ではなくて、例えば夢から覚め切らないみたいな、そういう隙間に自分がいる時の感覚と言ったら伝わるだろうか。

 私は本当に喋るのが下手だし、言葉選びも上手くないし、ピアノがいちばんの表現の手段であることは今後の人生きっと揺らぐことはないのだろうけど、自分自身のそういう挑戦すら許容するというか、自由にしていい場所としてわいやいがあることを、本当に嬉しく思う。

 そのうち1ステージまるまる踊り出したりするかもしれない。

 しません。

 シングルモルトの2人の活躍に触れないわけにはいかない。なんといっても彼らは「わいやい発」の漫才コンビ。そしてなんの勢いなのかM- 1に出場し、無事(?)1回戦で敗退してくるという大暴れっぷり。楽しそうにプロフィールに書く人たちは初めて見たのだけれど敗退してもやはり出場するということだけでもすごいことなのだろうか。よくわからないけれど主催者として応援しているし、拓さん直々に「シングルモルトをMCに」とのことで、今回大活躍して頂いた。司会をしてMCをして町村さんは歌も歌って、本当にお疲れ様でした。

 コンサートホールで漫才を聞くというのはあまりにも貴重な経験だったように思う。

 2人とも、さすが声の通ること。

 さて。まだまだ触れていない部分があるけれど、今回は一旦ここで締めようと思います。一つにまとめたかったのだけれど、さすがの私でもあまりにも長すぎる。読んでもらえない記事に意味はないので。

 

 さて、何をそんなに急ぐかって、今からわいやい運営メンバーの反省会なのです。