「活動経歴」のページを整理していて、これ今年なんだな〜と思うことが大半でした。同じことをする、同じ場所に行くことがほとんどないこの職業で生きている実感が強く湧いています。 この年末特に歩みを遅めているけれど、生きるスピードの間違え方が我ながらうまい。...
今回は真面目ブログです。
 「趣味」を定義しようとするごとに自分の中の何かがぼろぼろと音を立てて崩れていくのを感じるのであまりやらないようにしている私ですが、絵を描くのはもしかしたら趣味だと言えるんではと100万回に1回くらい思っています。...
 大学時代のことは思い出せないことの方が正直増えてきた。思い出したくないから思い出せないのか、本当に記憶からなくなってきているのかは判断しかねるけれど。...
 音楽家ですあるいはピアニストですと名乗る機会は山ほどあるわけだけれど、ご専門は?と聞かれてうーむとなったことがある人は一定数いるんじゃないかと推察する。  私の場合はピアノが主な手段だけど、別にそれだけじゃないしなあとか。でもいちいちそれを全部説明する訳にもいかないじゃないですか、相手が求めてるのはそういう答えじゃないわけだから。...
3月を生き抜いたことを神に感謝している。わたしは残念ながら信仰心を持ち合わせることができなかった人間なので、己の中に住まわせている都合の良い存在を神と呼んでいるだけなのだが。...
 現在宣伝含む活動で使っているSNSは、LINE・Twitter・YouTube・Facebook・Instagram (後半はやや持て余している感が否めないけど)。  TikTokに演奏上げないの?とか、ライブ配信しないの?みたいなことをもちろん聞かれたことはあるし考えたこともあるけど、TikTokに関しては完全にNOT FOR...
 例えば「バッハ」とか「ショパン」とかいう名前を聞いて、「1750年に没したドイツの作曲家で」とか「ピアノの詩人と言われるポーランドの作曲家で」というのはパッと浮かぶかもしれないけれど、その人の好きな食べ物とか、決まった生活習慣とか、お気に入りの散歩道を知っていたり、それを景色として想像・想起できるだろうか。実在した(はず)のその人を、今あなたの側にいるあの人のように、情報ではなく血肉の在る人間として想像できるだろうか。「ショパン」「バッハ」という概念として捉えていないだろうか。そしてそうだとしたら、自分とどのくらい離れていたら人は概念になるんだろうか。  ちなみにショパンとバッハを例にしたことにはなんの意味もない。  そして私自身、この問題?疑問?に特に答えは出せていない。だって、あったことがある人物でさえ、概念というか、自分とは全く違う存在であるかのように考えてしまう時がまだあるから。  合唱関係の仕事をすることが増えて、存命の作曲家の曲を演奏することや新曲の誕生に立ち会う瞬間はピアノソロだけを突き詰めていた時期に比べて格段に増えた。作曲家その人に物理的に会うことが可能であり、むしろ稽古中に立ち会ってもらうことをひとつ当然といえば当然のように行える環境。演奏者にとっても作曲家にとっても有意義な機会であることは間違いない。聴いた後で作曲家が楽譜を修正したり、演奏の中で奏者の中に生じた疑問を作曲家に解説してもらったりという時間は、資料や楽譜には書き残せないものを含んでいることも疑いようのない事実だと感じている。
 2022年もたくさんの方に出会い、たくさんの物事を経験し、それこそ日々に喜怒哀楽が満遍なく在る年でした。楽しい嬉しいこともあれば悲しいこともある。何か一つだけに心が支配されることはさすがに無くなってきたけど、周りの人よりも少しだけ繊細な部分があると自覚して、たくさんの人に助けてもらってバランスを取りながらなんとか年末まで辿り着きました。毎年「激動の1年でした」と言っていますが、それが私が歩むと決めた行き方であり、道。なんの後悔もしていないし、この歳で音楽で食べていけるくらいのお仕事をいただけて本当に幸せです。支えてくださっている周囲のみなさまに感謝が尽きません。沢山のご縁にも恵まれまして本当にありがとうございました。深く御礼申し上げます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。  年越しは親友と一緒に過ごしました。大学の同期なので出会ったきっかけは音楽だけど、ただ1人のにんげんとして、音楽だけでなくそれ以上のものも、学生時代はもちろん社会人になってからも共有してくれる唯一無二の存在です。  2023年の抱負を考えたのですが、日々自分自身が目まぐるしく変わる私ですので、特に何も掲げずにいこうと思います。 改めまして、本年もよろしくお願いいたします。良き一年になりますように。
 Twitterでの会話から始まったこの企画。...

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