合唱団もんじゃ6thコンサート

 ゲストピアニストとして呼んで頂いた中でも、1年以上一緒に稽古を重ねるのは初めての経験。「その時」にしかない音楽ってあるよなあと、練習に行くたびに実感していた。たとえば季節によってとか、その時の体調、人生の調子、影響を受けているものたちとか。前にブログに書いた気がするけど、レパートリーを持つことってとても大きな意味がある。長年音楽をやっている人ならきっと一度は経験があると思う、「過去の書き込みに翻弄される」こと。あれ、私はすごく好き。過去を知って今を知って未来を想像する…みたいな。

 1年ってあっという間だけど、でも噛み締めるには充分。

 もんじゃは、初めて出会うタイプの合唱団だった。いわゆる常任指揮者とか常任ピアニストがいるわけじゃなくって、「○団体所属してます」みたいな人がいるわけでもない。もんじゃにしかない何かがある。それってなんなんでしょうねと指揮の佐々木さんに聞いたけど、「よくわかんないですねえ」と言っていた。面白すぎ。どこからこんな人数が来て、どうやって集まってるの??熱量とか、愛情とか、たくさんのものが繋がって、重なって。すごいことだよなあ。

 演奏会当日の指揮は佐々木さんだったけど、初期の練習とプチ本番で指揮を振って下さったさてーさんにも大感謝。

 練習中、団員同士で「これはこう思う」が活発に交わされていたのも印象的だった。いい環境すぎる。受け身でいつづけられるのも合唱の一つの特徴だし一種魅力でもあるけど、多分それだとどこへも行けない。共有と共感が絶妙なバランスで存在している場所だと感じた。

 各ステージ別々のピアニストが担当するのも面白かった。ピアニストは自分の楽器を持ち歩けないけど、みんなが同じ楽器を弾くことで見える面白さもある。私にはこんな音出せないなあとかさ、今や「嫉妬する」とか「焦燥感を感じる」みたいなことは無くなったけど、発見する嬉しさがある。

 自分の背中は見えない、と同じで、自分の演奏は客席で聴けない。夢ですけどね、同時に二つ存在するの。でもそれ、叶って欲しくない夢だな〜。一生客観的になんて聴けやしない自分の音に悩み抜きながら生きていきたい。

 はい大矛盾。矛盾と変化を愛せる器であれよ!情緒は不安定に安定しています。

 終演後にステージで写真撮ってもらおうと思ったけど、照明落ちてるしみんな撤収作業中だし油断しててかっこよくない私。

 私といえば衣装やらアクセサリーやらを登場毎に変えるのが定番化してきていますが、この日も例に漏れず。1stステージの衣装の写真は誰かと一緒に撮ったりができなかったんだけれど、地味に初出しでした。

 メイクもアクセサリーも服も、商売道具(という言い方はあれだけれど)としての自分を飾るうちに本当に好きになりました。少しの楽しみであれ。

 

 お花が長持ちする季節になりましたね。